歩く効果
ここ最近なんとなく運動不足気味なので、手軽にはじめられる何かないかなーと思っていたら、まあとりあえずは歩くことが基本かと思い、とりあえず歩いたりしている。
「三日間歩かないでいると鬱になる薬をわざわざ飲んでるのと同じだ!」っていうのを何かで読んだし、仕事してる間ずっとパソコンとにらめっこしてるのも明らかに体に悪いし、気分転換にもなるし、歩くことに抵抗はそれほどないつもりではある。
歩く効果もそれなりにあるみたいだし、
これからも自分なりのペースで歩いていくつもり。
夜のウォーキングでもイイ感じらしい。
従業員という概念
ある日、ネットサーフィンをしていてハッとさせられた文章があったのでここでちょっと引用してみたい。
実を言うと「エンプロイー(従業員)」という概念は近代になって生み出されたもので、時代を超越した社会慣行ではない。強い意志を持つ人間を従順な従業員に変えるために、二十世紀初頭にどれほど大規模な努力がなされ、それがどれほど成功したかを見ると、マルクス主義者でなくてもぞっとさせられる。近代工業化社会の職場が求めるものを満たすためには、人間の習慣や価値観を徹底的につくり変える必要があった。生産物ではなく、時間を売ること、仕事のペースを時計に合わせること、厳密に定められた間隔で食事をし、睡眠をとること、同じ単純作業を一日中際限なく繰り返すこと——これらのどれ一つとして人間の自然な本能ではなかった(もちろん、今もそうではない)。したがって「従業員」という概念が——また、近代経営管理の教義の他のどの概念であれ——永遠の真実というゆるぎないものに根ざしていると思い込むのは危険である。
これを読んだとき、まさに目から鱗が落ちる思いがして。
ある意味でメディアによる洗脳って恐ろしいなと。
メディアリテラシーってすごい大事だよなと、改めて再認識した次第。
ちなみに引用した文章はゲイリーハメル著『経営の未来』163ページに記載されている。
- 作者: ゲイリーハメル
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―追記―
上記の本の162ページにも興味深い記述があったので引用。
たとえば、二十一世紀のほとんどの管理職が、経済的に自立していない従順な「従業員」という概念を、企業の営みの揺るぎない土台とみなしているようだが、南北戦争以前のほとんどのアメリカ人にとっては、一生他人のために働くというのは不可解なことであり、耐えがたいことにさえ思えたことだろう。
十九世紀のアメリカは、ロイジャックがいみじくも言ったように「自営業者の国」だった。白人男性の十人に九人が自分で仕事をしており、センサスの分類による「製造業者」は、一般に三人~四人しか雇っていなかった。皮なめし加工所やパン屋や鍛冶屋で働いていた人のほとんどが、いつの日か独立することを夢見ており、多くがやがて実際に独立したものだった。ヨーロッパの経済封建主義から逃れてきた十九世紀アメリカの職人や労働者は、何百万人もの子孫たちがいつの日か恒久的な「賃金奴隷」になることを知ったら、愕然としたことだろう。
80対20の法則
なんかブログの表示が遅くて、原因は何だろうと思って
色々いじってたら、どうやらツイッターとかラインとかに記事を送ることができるソーシャルリンクかなんかが原因だったらしく、
それらを使わない設定にしたら、まあ早くなったかな。
あ、どうも。
ネットの隅っこで地味に生息している地味なブログです。現状、特に大勢に見られているわけでもないので、自由にやりたいようにやっていこうと思います。
さて今日は一昔前に話題になった80対20の法則について。
80対20の法則とは?
結果の約80パーセントは、20パーセントの原因から生じるという経験則である。(中略)大きな成果をあげるには、やることを減らすに限る。「決定的に重要な小数のこと」に絞ったときに、少ない労力で大きな成果をあげられる。
ということをいろいろ解釈していくと、例えば本の内容も全体の2割の部分にに8割方の趣旨が書いてあることになるし、一日の生産活動も例えば実働が10時間あったらそのうちの2時間で一日の80%の成果を出しているということになるのでしょう。
こうして考えると、いろいろ整理されてきますね。
また追記するかもしれません。
本当にしたいことって?
もし仮にお金と時間がたっぷりあったら何をしたいだろう。。
はて、なんだろう。。(5分考えた)
お店を開こうかな。売り上げ度外視の半分以上趣味のような店。
カルチャーサロンとか。
あ、それか世界一周しようか。スカイダイビングとかもいいね。
うーん、とりあえず妄想を膨らますのは楽しい。
ネバートゥーレイト。何事も遅すぎるということはない。
思いついた言葉を書く。
ネバートゥーレイト。何事も遅すぎるということはない。
思い立ったが吉日。
何かを始めようと思ったその時がまさにその人にとってベストなタイミング。
40歳になってから大学に行くもよし、25歳で会社辞めて独立するもよし。30歳過ぎてから世界一周の旅に出るもよし。
もう一度言う。
『何かを始めようと思ったその時がまさにその人にとってベストなタイミング』
本当に心の底から思うからこそ、こうしてブログに書き残しておきたいと思った次第。
人生の意味
こちらも為末さんの言葉だけど、
自分の人生を意味あるものにしてみせると、意気込んで空回りしている若い人もよく見る。かくいう僕も、競技人生の前半においては、意味のある人生にしたい、意味のあることを成し遂げたいという思いが強い動機になっていた。でも、メダルを取ったころからふと冷めだした。僕の母が毎日近くの山を登ることと、僕が世界一になることの本質的な違いがわからなくなったのだ。
意味を見出そうと一生懸命生きていくと最後には意味なんてなにもないんじゃないかと思うようになった。人生は舞台の上で、僕は幻を見ている。
人生に意味はない。これもまた一つの答えではある。それに賛同するかしないかは個人の自由であって。
楽しいと感じながら日々を過ごしていくも良し、つまらないと感じながら日々を過ごしていくも良し。色々な感情を味わいながら日々を過ごすもよし。
目標を持って頑張るもよし、目標を持たずに頑張らないのもよし。
つまりはなんでもOKで、どれも正解で、どれも間違いはない。
人それぞれ、何が一番大切かを自由自在に選んで生きてもいいし、選ばなくてもOKということ。
人生は暇つぶし?
何年か前に読んでハッとした言葉があって。それを今日またふと思い出した。
それがこれ。
人生は暇つぶしだと思ってから、急に自分が軽くなって、新しいことをどんどん始められるようになった。 たかが人生、踊らにゃそんそん、である。/ 為末 大
人生は暇つぶし。やっぱりそうかもね。
なんか突き抜けていく感じがする。憑き物がとれるっていうか。
自分が軽くなるのはわかるなー。
踊らにゃそんそんっていうのは本当にそう思う。
ということで、新しいことをいろいろ始めていこうかな。
風まかせ。一寸先は闇。だけど、なるようになる。