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意識普通系ブログ

思いついたことや、書きたいこと、クリップしておきたい記事など

従業員という概念

ある日、ネットサーフィンをしていてハッとさせられた文章があったのでここでちょっと引用してみたい。

 

実を言うと「エンプロイー(従業員)」という概念は近代になって生み出されたもので、時代を超越した社会慣行ではない。強い意志を持つ人間を従順な従業員に変えるために、二十世紀初頭にどれほど大規模な努力がなされ、それがどれほど成功したかを見ると、マルクス主義者でなくてもぞっとさせられる。近代工業化社会の職場が求めるものを満たすためには、人間の習慣や価値観を徹底的につくり変える必要があった。生産物ではなく、時間を売ること、仕事のペースを時計に合わせること、厳密に定められた間隔で食事をし、睡眠をとること、同じ単純作業を一日中際限なく繰り返すこと——これらのどれ一つとして人間の自然な本能ではなかった(もちろん、今もそうではない)。したがって「従業員」という概念が——また、近代経営管理の教義の他のどの概念であれ——永遠の真実というゆるぎないものに根ざしていると思い込むのは危険である。

 

これを読んだとき、まさに目から鱗が落ちる思いがして。

ある意味でメディアによる洗脳って恐ろしいなと。

メディアリテラシーってすごい大事だよなと、改めて再認識した次第。

ちなみに引用した文章はゲイリーハメル著『経営の未来』163ページに記載されている。

 

経営の未来

経営の未来

 

 ―追記―

上記の本の162ページにも興味深い記述があったので引用。

 

たとえば、二十一世紀のほとんどの管理職が、経済的に自立していない従順な「従業員」という概念を、企業の営みの揺るぎない土台とみなしているようだが、南北戦争以前のほとんどのアメリカ人にとっては、一生他人のために働くというのは不可解なことであり、耐えがたいことにさえ思えたことだろう。

十九世紀のアメリカは、ロイジャックがいみじくも言ったように「自営業者の国」だった。白人男性の十人に九人が自分で仕事をしており、センサスの分類による「製造業者」は、一般に三人~四人しか雇っていなかった。皮なめし加工所やパン屋や鍛冶屋で働いていた人のほとんどが、いつの日か独立することを夢見ており、多くがやがて実際に独立したものだった。ヨーロッパの経済封建主義から逃れてきた十九世紀アメリカの職人や労働者は、何百万人もの子孫たちがいつの日か恒久的な「賃金奴隷」になることを知ったら、愕然としたことだろう。